• 吉岡徹

用と美の変還

更新日:2018年12月16日

1・用と美との成立

産業革命(industrial revolution)は1760年イギリスではじまり、1830年にかけて欧州諸国に波及した。この新しい動向は新しい材料の誕生と商品の量産化により、技術者・製造業者などの活動を分裂させ、伝統的手仕事の職人の領域に大きな損害と共に構造変革をもたらし、また、原料・燃料・労力の供給関係に影響を与えた。織物業界は壁紙が目ざましい勢いで普及し、室内装飾を一変させた。しかし、商品の量産化は、経営者の利潤優先のために粗悪品の氾濫を招き、その図柄の表現も、それまでの手仕事を単に模倣したにすぎないもので、量産化を前提とした表現は見られず、その意識も希薄であった。このような情勢のなかで蒸気機関・紡績機・改良旋盤・蒸気汽船などが工業社会の象徴として次々と誕生し、社会の状況を急変し、職を失った手工業者たちの反対運動は激化した。

1851年、産業革命の集大成として、世界最初の国際博覧会がロンドンで開催され、パックストン(J.paxton)設計による水晶宮(crystal palace)と名付けられたガラスと鉄による建築が脚光をあびた。この博覧会の見物人の中に当時17歳のモリス(W.Morris)がいた。彼は当初ラスキン(J.Ruskin)の影響を受け、中世の建築に大きく傾倒していたが、1856年にストリート(G.S.Street)に弟子入りし、やがてロゼッティ(D.G.Rossetti)と知り合い絵画に転向した後にデザイナーとなり、1861年にモリス・マーシャル・フォ―クナー商会(Morris Marshall &Faulkner Co)を設立した。この頃、オーストリアのヴァグナー(O.Wagner)、アメリカのグリノウ(H.Greenough)、サリヴァン(L.H.Sullivan)らが「形態は機能に従う(form follows function)、「一機能には特定唯一の機能が決定される」などの命題を掲げた機能主義(functionalism)を主張して極端な有機的曲線による建築・工芸運動を展開した。

 機能(function=英、Funktion=独)はラテン語より由来しており、「作用」「働き」の意味をもち、「form follows function」は博物学者ラマルク(Lamarch)の唱えた説である。デ、ザインにおける機能性(用)を第一義としたこの主張は、後年キュビズム(cubism)、シュプレマティズム(suprematism),未来派(futurism)、バウハウス(Bauhaus)、ピュリズム(purism)などに影響を与えるほど大きな意義をもった。しかし、ラスキン(J.Ruskin)が「2つの道(Two Pathes)」で「産業は道具や機械を直接、間接に、また、頼ろうと頼るまいと手で何かを作り出してこそ、意義が成り立つ。技術(art)とは手と知性と共に働かせたもので、美術(fine art)とは手と頭と心が一緒になったもの」と述べ、また、ガヤット(R.Guyatt)は技術と美術との共通分母を「物を想像する情熱」、「知性」、「手の技術」として、手と頭と心の統合について論じているのにくらべて、「用」のみを主張した機能主義運動は行きづまりを示し、20世紀初頭に雲散霧消した。

1887年、モリスはラスキンの思想を実施すべく、美術工芸展覧協会(The Art and Craft

Exhibition Society)を組織して、美術工芸運動(Art and Craft Movements)を興した。この運動は中世の工匠制度を理想に機能主義を否定したもので、近代デザイン運動の源流となるものであった。

 モリスはラスキンの「すべての芸術を民衆に」を命題に「手による工作こそ真理であり、喜びである」と主張し、機械による量産化を否定し、中世の工人組織化を生産方式にもちこんだ。モリスは思想家、芸術家として著名であり、かつイギリス初期の社会主義運動の理論家をして民主主義をとなえた運動家でもあった。このモリスの主張は、量産化による失業や労働条件の改善を目指したもので、芸術は装飾を(美)を第一義とすべしという理論の展開の背景には、一つの社会運動が存在していた。彼は「人間の手によって作られた、あらゆるものは一つの形であり、美しいか醜いかである」と主張し、機能主義に立ち向かったが、保守的なイギリスにおいては成功しなかった。しかし、モリスの運動の影響がアール・ヌーボー(art nouveau:新美術)運動を喚起させ、オーストリア、ベルギー、ドイツ、アメリカなどで、伝統様式を否定した新様式の創造活動につながることになった。