視覚言語
言語系記号に比較し、非言語系、中でも絵文字は人々に強い印象を与える。1925年オーストラリアのノイラート(O.Neurath)は図1.27のようなアイソ・タイプ
(ISOTYPE.International System of Typographic Picture Education)という視覚言語を考案した。彼は2,000以上の視覚的法則を作り、国際的視覚言語の試案として、「視覚辞典」に収録し1930年には「国際絵画言語」という本に視覚言語の体系化を行った。アイソ・タイプは児童教育のために作られたものであったが、記号の機能性という表現は国際的な評価を受け、オランダに国際視覚教育財団(International Foundation for Visual Education)が設立され、ノイラードが主催する事になった。日本では、このように視覚言語の体系化されたものは少ない。
ナギ(M・Nagy)はペンを無視する者のみならず、カメラを無視する者は文盲になろう」と述べ、ガテーニョ(C.Gattegno)は「視覚はのみこみが早く、分析的、総合的でその働きは光の速さに匹敵すると同時に、ほとんどエネルギーを要せずに、我々の精神は数分の一秒にして無限の情報を受容し、把握する」と述べているが、宇宙船アポロが月面着陸したときの情報はTVや映画を通じて世界の人々に伝達した、その表現は一千万語に優るものであった。かつてTVやカメラのない時代には芸術家は視覚言語の権威者であり、専門家としての地位を保持していたが、今日ではTV・カメラの高度な発達は人間の眼や脳でとらえられない瞬間を正確にキャッチ、伝達できる。これら人工的な円蔵媒体は、人間の視覚能力に比較して、その機能性は、はるかに優れている。しかし、機械の能力には情緒とか感性とかはない。表現するにしても、人間の眼を通して描かれたものは、対象の整理・印象という点では機械より優る。このような視覚化情報の発展はデザインの世界での応用も目ざましく、特にビジュアル・デザインの世界では顕著な様相がみられる。
視覚言語として古くから人々と関わっているものに、交通や通信の伝達手段がある。これらは当初、狼煙、太鼓が使われたが、13世紀に手旗信号が出現し、内容も複雑に伝達できるようになった。17世紀には、手旗信号の基本コードの規制、19世紀には万国共通のルールが考えられ、海上遭難、経路指示に使われるようになった。一方、モールス信号が登場し、陸上での交通信号にイギリス・フランスでは腕木を2本取り付けた、テレグラフ(telegraph)
が用いられるようになった。(図1.28)
ヨーロッパのように国同士が隣接していて使用言語が違う国々や、アメリカのように広大で高速道路の発達した国は、交通サインの視覚的統一がドライバーの安全性や
指示性のために重要となる。その条件としては可視性(visibility)が考慮されねばならない。また、無機的な都会の中でスーパー・グラフィック(super graphic)も、これらの環境を考えると視覚言語の一部として、その認識も強められねばならない。視覚言語は周囲の景観や地域の証明としてシンボリックになる、不備、不快、なデザインは人々の生活を精神的に不快にし、破壊させる。
ケペッシュ(G.Kepes)は「視覚言語、Ianguage of vision」で「視覚言語は他のどのような伝達方式よりも効果的に伝搬する。それは人間の体験や客観的形態を再現する。それには発言や語彙、文法の限界はない。文盲の人も、そうでない人も同じように感じる。そして、より広く、深い範囲で真理と思想を伝達することが出来る」と述べている。情報の発達した今日の社会にあって、視覚言語の統一については人々の要求も強い。特に国際的規模のものについては、その要望も強いといえよう。視覚言語の世界的体系化と統一がなされれば、人々は言語の壁をこえて互いに、より親しみと理解が深まるが、地域・民族・歴史・習慣の意味や解釈の差を解決するためには専門家の研究がより必要となる。しかし、科学・工学の万国共通の記号の体系化が形成されている今日では、交通サイン、統計表、地図、天気図などのダイアグラム(diagram)などの領域は、その可能性も大きい。
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