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  • 執筆者の写真吉岡徹

各種の表現方法(コラージュ、オブジェ、コンピューター・アート、ペンジュラム、テクスチュア、魔法陣)

更新日:2021年8月8日

コラージュ

 コラージュ(collage=仏)とは貼付の意味。20世紀初頭、立体派のピカソ、ブラックらが、キャンバスに油絵の具のほかに新聞紙や壁紙、切符を貼り付けた作品を作り、これをパピエ・コレ(貼紙:papier collee)と呼んだのが起源とされ、その後各種素材を用いるようになり、モンタージュとも呼んだ。エルンスト(M.Ernst)は学術書などから図や文字を切り抜き、奇想天外な作品を発表し、人々を驚かせたが、彼は一見無関係と思える物象を切り抜き貼り合わせて画面を構成し、潜在意識に呼応するものとして制作を試みた。彼はコラージュを発展させて、オートマティズムによるシュールレアリスムの様式を確立した代表的作家である。


オブジェ

 対象をその実用性や機能性と無関係に、芸術的次元として表現することを、オブジェ(objet=仏)と言う。オブジェは物体、客体、対象と訳され、1917年、ニューヨークのアンデパンダン展に出品されたデユシャン(M.Duchamp)の便器を用いた作品「泉」が有名である。現代彫刻の第一人者カルダ―(A.Calder)のスタビル(stabile=仏)と呼ぶ針金や金属板を用いた立体構成や、モビール(mobile)と呼ぶ力学的原理を応用し、空気の微小な動きで変化する作品は、現代彫刻の新しい分野とともに、オブジェの領域を開拓した。今日では、生け花や盆栽もオブジェの領域と考えられる。


コンピューターアート

 

弾道計算用に開発されたコンピューターは軍事用のみならず他の領域にも応用開発され、芸術の分野でも利用されている。音楽の世界ではエレピアンなど、電子音楽などに利用されているが、美術の世界ではコンピューター・アートの開発が目覚ましい。コンピューター・アートは20世紀中頃にジュレズ(B.Julesz)によって初めて作られた(図4.9a)もので、これをきっかけに、アメリカ「computer art contest」でイギリスでは「cybernetic serendi-pity computer and the arts」などのコンピューター・アートの関係行事が行われるようになった。図bはボーイング737の技術上の追求のために制作されたものだが、その幾何学的表現は新しい造形表現とみられる。


ペンジュラム

 ペンジュラム(pendulum)とは振り子の意味で、ギーン”Grahyis”誌に振り子による光跡パターンを発表したものが、最初のペンジュラムの作品と言われる。ペンジュラム・フォトを制作するにはピンホールした光源を天井からナイロン製の糸で下げ、下から撮影すればよい。糸をI字型かY字型に下げると光跡がきれいにできる。図4・10はヘリコプターによる大掛かりなペンジュラムで、この幾何学的光跡が美しい。


テクスチュア

 20世紀初期、未来のマリネッティ(T.Marinetti)の触覚主義(tactillism)運動やバウハウス運動はテクスチュア(texture)の追求を盛んにおこなった。バウハウスでは、基礎造形コースにおいて、形態、色彩、構造と共にテクスチュアの教科を取り入れ、ガラス、木、石、毛皮、金属などの素材を用いて造形感覚を磨いた。

テクスチュアはファッション・デザインやテキスタイル・デザインにおいては、風合い、肌合い、地合い、織り方などと解釈されるが、本来は織物の織目から由来した言葉で、同質の糸の織綾の見えの変化のことを言う。一般的には地肌、肌合い、風合いなどと解釈されて、素性構造(structure)から生じる材質感のことをいう。なお、地学などでは岩肌や木、石などの表面組成のことをテクスチュアという。


テクスチャーは感覚的な意味合いが強いが、視覚的意味も用いられ、白黒写真では、カラー写真よりも対象の粗密の対比が強く示されるので、距離感や立体感がより強く知覚される。図4-11aは楕円の向きが視覚的テクスチュア(visual texture)を示す。人間は圧覚、痛覚、暖寒覚など触覚的テクスチュア(tactile texture)と視覚的テクスチュアが一緒の場合、より強い知覚を受ける。図bの紙を折った作品は視覚的テクスチュアと感覚的テクスチャーとが強い表現となって示される。


魔法陣


 正方形を同量の升目に区分し、連続整数1、2、3、4、5~nを並列し、縦の列、横の列、斜めの列の和の計が同じようになるように構成したものを、方陣または魔法陣(magicsquare)と呼ぶ。


最も簡単な方陣は、3 × 3の9個の升目に配列した3次方陣(図4・12a)で、縦、横、斜めの計を15(定数)としたものである。図bは4次方陣で、デュラー(A.Durer)の銅版画「メランコリア(Melancholia)の一部(図c)の右上に同じものが描かれているが、この方陣の最下段中央の15と14の数字は、作品の制作

年であると共にデュラーの母親の死亡した年の数でもある。図dは5次方陣、図eは4立体方式の方陣で、縦、横、高さが同じ格数で構成され、1~27の数を用いた(定数42)立体3次方陣となっている。

方陣ではBC 4世紀に中国で易などに用いたのが始まりと言われ、それがペルシア、アラビア、インドを経て西アジア、南アジアに伝わり、AD 10世紀頃にはイスラム諸国やインドのヒンズー教徒に広まったと言われる。日本では鎌倉時代に栄え、江戸時代に関孝和が「方陣の法」を著述した。なお、魔法陣はオイラーの汎魔方陣とか、ルーカスの魔方陣とか、その数値配列の発見者名が付けられる場合が多い。魔方陣で配列された数字を1から順につなげると、回転対称図形が描かれる。口9 は配列数字をたどって得た4次方陣の色面構成である。図4-13aの4次方陣パターンをユニットに構成すると図4-13bのように表現できるが、テキスタイル・デザインや壁紙のデザインに用いると面白い。

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