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  • 執筆者の写真吉岡徹

バウハウス

更新日:2019年1月16日

バウハウス(Bauhous)

工業化社会の誕生は中世の熟練した技術者(芸術家)の存在の意義を弱めつつあったが、このような時代の変化のなかで、(Gropius)は1918年チューリンゲル政府より、当時ヴァイマールにある大公立美術専門学校とヴェルデが校長であった大公立工芸学校の統合を依頼された。ベーレンス(P.Behrens)の事務所で働いていたグロピウスは1919年、国立バウハウス(Staatiches Bauhaus in Weimar)を統合、造形学校兼研究所グロピウスとして、チューリンゲルの首都ヴァイマール市に設立した。35歳のときであった。バウハウスは1924年に、ファッショ政策によって閉鎖されるまで、6年間運動を続け、欧州の造形機関の中心的存在となった。

 バウハウスは、装飾的表面的な造形を否定し、芸術(美)と技術(用)との統合を目標に伝統様式美からの脱出と機能主義の確立を求め、その教科内容は造形の基本的知識の習得、各種材料の実験、応用の基礎課程を中心に実習制作の統合化により、木工、織、染、ステンドグラス、陶芸等の項目の工作過程を実践した。図1.9は教科要目の図で1923年のもある。



 バウハウスは基礎デザインの学習と共に陶器、印刷、織物、木彫、ガラス、壁画の各工房を作り設備を整えた。そして、技術やコツを習得する事は時間の問題として、単なる職人教育でなく発展的洞察力を持つ、独創的で全人間的な教育を理念とした。そして、美術と工芸との協力を基盤「用」と「美」の統合化による生産品の量産化を求めた造形教育を行た。教員にはファイニンガー(L.Feininger)、マークス(G.Marcks), イッテン(J.ltten)らが中心となり,後にムッフェ(G.Muche)、クレー(P.Klee)、カンディンスキー(VKadainsky)、ナギ(N.Nagy)らが加わった。

バウハウスの造形理論は、オランダのデ・スティル(De.Sutijl)、ソ連の構成主義(construe-tivism)を基にしたものであった。デ・スティル運動はドーウスブルグ(T.V.Doesburg)を中心にモンドリアン(P.Mondriam)らが1917年に結成した純粋抽象運動を展開したもので、「新造形主義」を宣言、幾何学的デザインの追究を主とした。また、構成主義は彫刻家のガボ(N.Gabo)、ペヴスナ―(N.Pevesner)らによって、第一大戦前後にロシアで起こった造形運動で、立体派、未来派の機械的概念と抽象的造形を中心に考え活動したものである。

 ヴァイマールのバウハウスは1924年に閉鎖されたが、翌年デッサウに「デッサウ造形学校(Bauhaus Dessau Hochshule fur Gestaltung)」の名称で新設され、産業との結びつきを強く追及する運動を展開した。しかし、デッサウの造形学校も内部対立とナチの弾圧下に1933年に再び閉鎖された。第二義大戦後、西独のウルムにニュージャーマン・バウハウスを開設、アメリカでイリノイ工科大学との合併などが行われ、バウハウスの教育は受け継がれ、その精神が各国に踏襲せれた。バウハウスは、グロピウスの共同による組立住宅のための提案、ブロイア(M.Breuer)の椅子、バイヤー(H.Bayer)のタイポグラフィ、シューレンマ―(O.Schlemmer)の舞台美術など多くの秀作を残し、その精神と共に現代デザインに大きな影響を与えている。

 デザインは、量産化を主旨とした近代デザインによって、その意義が成立したが、デザイナーが専門職として社会的に認められるようになったのは、1919年ごろから、ティーグ(W.D.Teague),ローウィ(R.Loewy)の個人事務所の誕生により確立した。1927年にアメリカの自動車メーカーGMで10人の企業スタッフのデザイナーが組織を組み入れられ、人々の認識も強まった。この専門職としてのデザイナー確立に関して、アメリカ・インダストリアル。デザイン協会(ASID)は、「デザイナーは生産者と消費者との通訳者」と定義づけ、工業デザイナーは深い知識と経験を持ち、造形に対する深い理解が必要であることを強調した。1930年以降になると工業デザインは急速に発展し、イギリス、フランス、ドイツ、オランダなどで宮民のデザイン振興機関が次々と設立された。

 以上のようなデザインは「用」と「美」との間の変還を経て、今日、デザイナーに対して、両者の統合的理解に基づいた深い知識と経験が求められ、機能性を合目的的に有効に発揮するために、各部分部分が適切で緊密に効果的に働き、かつ、役割を果たし統轄される事が要因となったのである。かつて、石や木などの自然的形態に依存した時代と比較し、現代では新しい材料の開発が目ざましく、それに伴い形成可能の領域も大きく拡がった。そこでは、デザイナーが今後、社会の要求にこたえるために、より一層の努力が必要となる。

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