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  • 執筆者の写真吉岡徹

用と美

更新日:2019年1月16日

用と美

「用」と「美」との表現上のバランスは、その時代や民族、社会状況によって異なる。たとえば自動車が発明された頃は美的面というより、人の足より速く、重いものを運び、複数で一緒に行動できるという機能面が優先された。しかし、今日では毎年のように変わるカー.スタイルに見られるように、一種ステイタスシンボルとして車を求める傾向がある事も否定できない。この現象は生活全般についてもいえ、衣類、家具、。建築についても、単に機能面の充実をもとめられているが、それ以上に美的要求を人々が求めている。これは物理的に機能性を求めた物質不足の時代と異なり、生産品が豊かになった結果あらわれた現象といえる。

 「用」と「美」についての基準は、対象に対する状況によって両者のバランスに著しい差が生じる。そのために極端に偏向して表現が示される。たとえば開発途上国の人々の中には、耳や鼻など身体の一部を変形させた特異な扮装をする民族がいる(図1.3 1.4)。この呪術的意味合いが強く、儀式や祭事のためにおこなわれる扮装は「用」的な面はまったく考慮されていない。




また、図1.5は現在の靴製造業者の理想とする靴を履くためには、かくあるべしと想定した足形であるが、人の体型を無視し、靴の「美」的面からのみ追求したもので、「履物」としての機能性への配慮はまったく無視され、履くために生活するのか、生活するために履くという根本的命題に直面し当惑する。

 人類は心的装備として言語や自己の分身としての道具を工夫し、その繰り返しが文化の発展となった。壺や石斧は生活していく上に欠かせないものであり、石を積み上げることは呪術や祭事のための作業にあった。それらは壺や石斧のように実用性を目的とした場合、トーテン(totem)のように装飾性の表現を第一義とした場合が考えられるが、機能性と装飾性とのかかわりについての発想は造形上見当たらない。しかし、これらの行為には広義の意味のデザインとしての意義が見られ、イメージを具現化するために、目的や内容が、いかに的確に対象を表現するかというデザインの原点の一部は示されていた。

 「用」と「美」との統合を見るには、古代ギリシア・ローマの建築家を待たねばならない。

彼らは設計図に基づき多数の職人を指図して造形したが、そこにはデザインの意義が見られた。しかし、「用」と「美」とのかね合いについての明確な認識は産業革命による大量生産時代に入ってからである。人類は旧石器時代以来、生命存続のあめに多くの道具(product design)を作り、長い歴史を経てきているのであるが、デザインの成立の歴史の浅さはいかんともしがたい。しかし、この両者がいかに近代デザインに至ったか、その変遷について考察することは、デザインの根源的問題を確かめることにもなる。

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